柔福帝姫

靖康(せいこう)二年(1127)、宋の都開封(かいほう、河南省)は金軍の猛攻の前に陥落した。そして、徽宗、欽宗二帝以下、后妃、皇族、官吏、技術者などが捕虜として北方の極寒の地へ連行されることとなった。皇族でこの危難をまぬがれたのは康王(こうお…

罰を受けた美男子(後編)

叔文(しゅくぶん)は開封に着くまでの間、愛妻を事故で失った哀れな夫として見事に振る舞った。船客の中にはその姿に同情して見舞金をくれる者もあった。そして、船は開封に到着した。 叔文は蘭英(らんえい)のへそくりと装身具、船客からの見舞金をまとめ…

罰を受けた美男子(前編)

宋の時代、都の開封(かいほう、河南省)に陳叔文(ちんしゅくぶん)という男がいた。刻苦勉励して科挙に及第し、常州(江蘇省)宜興(ぎこう)県の主簿(書記官)に任命された。しかし、家は貧しく日々の生活費にも事欠くありさまで、任地に赴任する路銀す…

西湖の尼僧

臨安(りんあん、杭州)にたいそう美しい妻を持つ役人がいた。一人の若者がひょんなことからこの妻に懸想(けそう)し、毎日、一目その姿を拝もうと、役人の家の向かいにある茶店に通うようになった。日がな一日茶店に坐り込み、役人の門が開くたびに、道に…

亡き妻の怨み

華亭(かてい、江蘇省)の衛寛夫(えいかんふ)は妻を亡くし、一年足らずで劉氏を後妻に迎えた。 すると、しばしば先妻の霊が下女について怨み言を述べ、家の中でも怪異が起こるようになった。ある者は悲しそうなため息を聞いたと言い、先妻の姿を見かけたと…

人影

宜興(ぎこう、江蘇省)の陳宰冕(ちんさいべん)という人が富陽(ふよう、浙江省)の旅籠に泊まった。 夜、灯りを消して寝ようとすると、壁に人影が映って操り人形のように動いた。 陳宰冕は驚いて、枕を壁に投げつけた。旅籠の主人が物音を聞きつけて部屋…

幽霊船

宋の大観年間(1107〜1110)のことである。広東の南洋を一隻の商船が航行していた。 順風に乗って航行していたある日、突然風向きが変わった。逆風に吹き流されて航路を大いに外れ、外海にまで流されてしまった。 たまたま一人の商人が乗り合わせていたが、…

長垣の女

宣和年間(1119〜1125)のことである。開封(かいほう、河南省)の長垣(ちょうえん)県の二人の弓手(きゅうしゅ、地方の下級警察官)が郊外を巡邏(じゅんら)していて、籠を提げた女が走ってくるのと行き会った。 「誰か、助けてーっ!」 女は三頭の狼に…

耳掩いの道士

利州(四川省)南門外の市場には、市の立つ日には近隣から客が集まり、なかなかの盛況ぶりであった。 ある日、人込みでにぎわう市場にどこからか一人の道士がふらりと現われた。破れ頭巾を被り、いかにも見すぼらしい身なりであった。 道士は何やら袋を開く…

金の蝋燭

秦檜(しんかい)が権勢をふるっていた時のことである。雅州(四川省)の太守が秦檜の誕生日に山のような贈り物を整えたのだが、その中に百本の太い蝋燭(ろうそく)が百本あった。もちろん権勢家への贈り物なのだから、普通の蝋燭であろうはずがない。それ…

陳道人

建康(南京)の陳道人は検死役と親しくつき合い、いつも酒をおごっていた。 ある時、検死役が、 「あんたにはいつもよくしてもらってるから、何かお返しがしたい。望みを言ってくれ」 とたずねると、 「十七、八歳の健康な男の死体がほしいのですよ」 とのこ…

僧侶自焚

金の法では、女真人が漢地を治める時には必ず通事(通訳のこと)を置くことになっている。もちろん言葉が通じないからであるが、一切の意思疎通が通事を通して行なわれるため、賂(まいない)を受けて事実をゆがめることも多々あった。そういうわけで、ひと…

蔡十九郎

紹興二十一年(1151)のことである。秀州(浙江省)当湖の魯生が試験に臨んだ。 初日が終わってから、間違いに気づいた。すでに答案を提出した後で、訂正するすべがない。翌日の試験では何も手につかず、机のそばをうろうろしながら、自分の失態を嘆いてばか…

思索を練る場所

宋の銭思公(せんしこう)は富貴な生まれではあったが、嗜欲(しよく)の少ない人であった。かつて同僚にこんなことを言っていた。 「普段、好むことといえば読書だね。坐れば経史を読み、寝る時は小説を読む。厠(かわや)では詞を読むことにしてるんだ。今…

蕭県の陶工

鄒(すう)氏は代々、エン州(山東省)に住んでいたが、師孟(しもう)の代になって徐州(安徽省)の蕭(しょう)県北部の白土鎮に移り、陶工の親方となった。 白土鎮には三十あまりの窯(かま)があり、数百人の陶工が働いていた。その中に阮十六(げんじゅ…

霍丘(かくきゅう、山西省)の県令であった周潔が辞職して、淮水(わいすい)流域を旅していた時のことである。 当時、この地方は大飢饉(ききん)に見舞われ、街道筋の宿場はすっかりさびれ果て、どこにも泊まれるような宿はなかった。困り果てた周潔が丘に…

父の訴状

広陵(こうりょう、江蘇省)に欧陽(おうよう)なにがしという下役人がいた。家族とともに決定寺の向かいに住んでいた。その妻は幼い頃に戦乱に遭い、両親と生き別れになっていた。 ある日、一人の老人が欧陽家を訪ねてきた。老人は自ら、 「この家の主の妻…

薛度の妻

紹興年間(1131〜1162)はじめのことである。キ路提刑司検法官の薛度(せつど)は恭州(四川省)で勤務していた。妻が病にかかり、医者の劉太初(りゅうたいしょ)に治療を頼んだ。しかし、治療の甲斐なく、妻は死んだ。 しばらくして、妻は目を開けて医者の…

羹売りの李吉

范寅賓(はんいんひん)が長沙(ちょうさ、湖南省)での任期を終えて臨安(りんあん、杭州)に戻ってきた時のことである。 ある日、知人に昇陽楼(しょうようろう)という酒楼に招かれた。范達の座敷に何人かの売り子が料理を売りに来たのだが、その中に鶏の…

黒い箱

呂叔[火召](りょしゅくしょう)が太平県(安徽省)の知事をしていた時のことである。 同僚の王県尉が喪に服するため、帰郷することとなった。出発に際して、王県尉は呂叔[火召]に荷物を預けていった。その中に黒い箱があった。 王県尉は、 「この黒い箱…