清
杭州(浙江省)には夜航船というものがある。文字通り夜航行する船で、一晩に百里(当時の一里は約580メートル)ほど進む。船室らしいものはなく、男女は船倉(せんそう)に雑魚寝するのだが、その間を隔てるのは一枚の板だけであった。 仁和(じんわ)の張…
明の萬暦二十六年(1598)、副総兵訒子龍(とうしりょう)は、日本に攻められた朝鮮を救援するために水軍を率いてかの地に赴いた。子龍は歴戦のつわもので、齡七十を越えながら意気はなはだ軒昂(けんこう)、必ずや戦功を立てんと張り切っていた。 国境を流…
山西陽曲(ようきょく)県の山中で不思議な声を聞く者があった。 「出ようか、出るまいか。出ようか、出るまいか……」 この声は数日続いたが、返事をする者はいなかった。ある時、一人の農夫が通りかかってふざけて答えてみた。 「出てこいよ」 するとたちま…
河北東光県のある男が村の娘とねんごろな仲になり、結婚の約束まで交わした。しかし、男は父親が決めた縁談で、隣村から妻を迎えることとなった。妻は男を愛し、男も妻を愛し、娘とは別れた。 ある日、男は村に出かけ、かつての恋人であった娘と再会した。娘…
広東や広西地方には奇妙な風習がある。嫁入り前の娘達が寄り集まって義理の姉妹の契りを結ぶのであるが、これを「金蘭会」と呼ぶ。 上は笄(こうがい、女子が十五歳になると、髪を結い上げて笄を挿した。転じて成人に達することを意味する)に達した者から下…
北京の某公の家に李某という老僕がいた。性格はいたって誠実で、人をだますようなことは決してしなかった。 主人に仕えて数年が過ぎ、わずかながら蓄えもできた。暇を取った李某は蓄えを元手に市場に小さな店を開き、従業員を雇って驢馬の屠殺(とさつ)と解…
さる旧家に、二階建ての書庫があり、いつも鍵がかけられていた。不思議なことに開けてみるたびに床に積もった塵の上に女の小さな足跡が残されていた。大きさは二寸あまりで魑魅魍魎(ちみもうりょう)の仕業であることは明らかなのだが、その姿を見たものは…
ある男、人と話す時、何かと、 「粗末なもので…」 と謙遜する。ある日、友人を招いて酒を飲んでいると、折よく月が上った。これには友人、大喜び。 「今宵は何と結構な月だ」 すると、くだんの男、うやうやしくお辞儀をして、 「これはお恥ずかしい、うちの…
王京(おうけい)は宜君(ぎくん、陜西省)の砲手であった。その日は参将(上級武官)が役所を出る時に号令の大砲を放つことになっていた。王京は準備を整え、手馴れた様子で役所の外門に並んだ三門の大砲に次々に点火していった。天地を震わせるような砲声…
富豪のなにがしの夫人は慈悲深いことで知られていた。 一人の乞食が村はずれの大樹の下に住み着いたのだが、病がちで、物乞いに行くこともままならなかった。夫人は乞食を憐れみ、毎日、三度の食事を出して養ってやった。乞食もよそへは行かなかった。 数年…
遠方へ商売に出ていた男が数十年ぶりに帰郷した。男は妻が自分のいない間に不貞を働いたのではないかと疑った。そこで、村の外に身を隠して、夜になったらこっそり帰宅して、妻の貞操がどれほど堅いか確かめてみようとした。 夜更けに男は顔に泥を塗って、窓…
呉冠賢(ごかんけん)が安定(陝西省)の県知事となった時のことである。ある日、十六、七歳の少年と少女が役所にやって来て、奇妙な訴えを起こした。少年の言い分はこうであった。 「この娘は私の許嫁(いいなずけ)です。両親が私の妻にするために養ってお…
福建某県の知事、董(とう)なにがしは貪欲きわまりなかった。下僕の某は取り次ぎ役として、利益を貪っていた。 ある日、董知事は、下僕を連れて農村へ租税を取り立てに行った。途中まで来たところで、下僕が大声で叫んで馬から落ちた。見れば、左足が切られ…
広東(カントン)の雷州は最果ての地である。明の崇禎(すうてい)年間(1628〜1644)はじめに、金陵(南京)の高官が郡の太守として雷州へ赴任することとなった。息子を金陵に残し、妻と娘を連れて水路、雷州へ向かった。その途中、盗賊の一団に襲われ、妻…
ある男が夜道を歩いていた。ちょうど墓場へ通じる道にさしかかった時、月明かりの下で木々の間に坐る二つの人影が目に入った。 一人は十六、七歳の瑞々しい美少年。もう一人は白髪頭の老婆で、背はすっかり曲がって杖にすがっていた。どう見ても七、八十は越…
清の雍正十年(1732)六月のことである。真夜中に献県(河北省)をひどい雷雨が見舞い、県城の西に住む村人が、自宅に落ちた雷に撃たれて死んだ。県令の明晟(めいせい)が自ら赴いて検死をした後、遺体を納棺した。誰もがその死が落雷によるものと疑わなか…
青州(せいしゅう、山東省)に一人の商人がいた。他郷へ商売に出かけることが多く、ひとたび家を出れば一年は戻らなかったため、妻はいつも一人寝の寂しさを耐え忍ばなければならなかった。外聞をはばかって情人を持つこともできず、鬱々(うつうつ)と楽し…
明の崇禎(すうてい)十三年(1640)のことである。 山東諸州ではここ数年来の旱魃(かんばつ)で凶作が続いていた。この年、ついに大量の流民が故郷を捨て、食べ物を求めて南京へ流れ込んだ。そのため南京ではあちこちの軒下で雨露をしのぐ乞食の姿が見られ…
揚州(江蘇省)の某生は、名門の生まれで、父親は都で官職に就いていた。幼い頃から聡明で、目を見張るばかりの美少年であった。十四歳の時、府学の秀才となり、幾度か受けた試験にはすべて合格した。その前途は開け、人々は某生を大空に羽ばたく鷲のようだ…
サルト氏のチュク・バトゥルは若い頃、烈親王麾下(きか)の武将として勇名をはせていた。 明の宣化府城(河北省)を攻めた時、真っ先に城壁をよじ登ったチュク・バトゥルは待ち構えていた明兵に首を斬られ、深手を受けた。しかし、チュク・バトゥルは深手を…
北京に住む某(なにがし)という侍衛は狩猟好きで知られていた。獲物を見つけると城内だろうと城外だろうと所構わず弓を片手に馬を走らせるのである。思えば危険なことなのだが、さしたる事故を起こすことなく過ごしてきた。 その日も彼は城内で兎を追いかけ…
海陵(かいりょう、江蘇省)に孝子がいた。七、八歳の時に父親が他郷で死んだのだのが、家に余分な蓄えはなく、孝子は幼いうちから懸命に働いた。そのおかげで、母親は再婚しなくてすんだ。 成人すると、某氏の娘と婚約した。しかし、まだ娶らぬうちに、孝子…
髭に白いものがめっきり増えたのを気にした老人、妾に白髪を抜かせようとする。妾、白髪があまりにも多くて全部抜くことは無理と見て、黒い方をすっかり抜いてしまった。抜き終わって鏡を見た老人、髭が真っ白になっているので、妾を叱り飛ばした。妾は怨め…
親戚同士が道で出会った。一人は人並みはずれたせっかちで、一人は人並みはずれてのんびりした性格であった。 まず、のんびりした方がおもむろに深々と頭を下げながら口上を述べた。 「正月にごあいさつにまかりこしました時分にはお邪魔をいたしました。元…
福建で娘が頓死した。嫁入りを目前に控えたある朝、寝床で冷たくなっていたのである。前夜まで元気に笑っていたので、その突然の死は誰にとっても意外なものであった。 それから一年余り経って、娘の親戚が所用で他県に出かけた。そこで亡くなった娘の姿を見…
江西(こうせい)の朱が北京に滞在していた時のことである。同郷の孟とともにに郊外のある寺を訪れた。老僧が一人住んでいて、二人が入ってくるのを見ると、出迎えて先に立って寺内を案内してくれた。 寺は小さかったが、本堂の壁画は実に見事で、人物など生…
長沙(ちょうさ、湖南省)の人、尤深は気韻(きいん)に富んだ美少年であった。彼は一人で湘渓(しょうけい)を散策した時、古い廟を見つけた。 垣根は崩れ、草はぼうぼうと生い茂り、どこにも人の気配がなく、さびれ果てていた。詣でる者のない祭壇には一体…
筆帖式(ビトヘシ、書記)の某公子の家は富裕であった。両親、兄弟共に存命で、家庭は円満、何一つ不足のない生活を享受していた。某公子の家は大所帯で、皆好んで猫を飼っていた。白いのや黒いの、斑(まだら)や縞など数え切れないほどであった。餌の時刻…
王なにがしの居室はいつも掃き清められ、趣味のよい調度が並んでいた。枕元には一幅の美人画がかけられていたが、これが見事な出来ばえで、今にも画中から美女が抜け出してきそうであった。 王が外出した晩、妻が一人で灯りに向かっていると、帳の紐の影が画…
天津(てんしん)の卞(べん)なにがしは南方へ従軍して功績を立て、千総(せんそう、士官クラス)の位を得て、哨官(百人を率いる隊長)となった。忙しい軍務の中、休暇を取って帰郷し、華氏を娶った。 婚礼の夜、卞は華氏とともに寝室に入ったのだが、非常…