郭璞

晋の中興(東晋の成立)のはじめに、郭璞(かくはく)は卦で自分が不吉な最期を遂げることを知った。 ある時、建康(現在の南京)の堤(つつみ)を歩いていて、一人の少年を見かけた。その日はたいそう寒かったが、少年は単衣(ひとえ)しか着ておらず、懐に…

大力長者

北斉の稠(ちゅう)襌師は幼くして出家した。当時、寺には腕白ざかりの小坊主がたくさんおり、休憩時間になると相撲をとって遊ぶのが常であった。稠襌師は生来ひ弱だったので、小坊主達の格好な標的となった。相撲を取ると称してはつき転がされ、いじめの対…

雷神

鉛山(えんざん、江西省)の男が美しい女に思いを寄せた。しかし、女には夫があり、容易にはなびかなかった。 ある時、女の夫が病気になった。大雨が降り、昼間でも暗い日であった。男は派手な模様の着物に作り物の翼を着け、雷神の装いをした。そして、女の…

李載

大暦七年(772)、大理評事の李載(りさい)が監察御史を兼任し、福建の節度観察を代行した。李載は建州浦城(ほじょう)に役所を設置したのだが、浦城から建州までは七百里(当時の一里は約 560メートル)離れており、その地は瘴気(しょうき)に満ちていた…

二人の妾

靖康二年(1127)の春、都は陥落し、連日、金軍の略奪と暴行にさらされた。多くの軍民や官吏、皇族や妓女、役者が連行された。 ある朝、朝廷に仕える官吏の王なにがしの邸の門前に二人の女が坐り込んでいた。使用人が門を開けると、女達は中に駆け込み、王の…

海井

華亭県(現在の上海付近)の市中に小さな雑貨屋があった。雑貨といっても役に立つのかどうかわからないような小物を並べているだけである。そこに、ある時、小さな品が並んだ。 一見すると底のない小さな桶のよう。材質は竹でもなければ木でもなく、金でもな…

生きていた死刑囚

順治年間(1644〜1661)、山東の張立山が開化(浙江省)の県知事となった。木子雄(もくしゆう)という男が財産を奪うために殺人を犯して、死刑を言い渡された。後は刑の執行許可が下るのを待つばかりであった。 たまたま張立山の親が死んだため、郷里に戻っ…

丹陽の虎

丹陽(たんよう、江蘇省)の沈宗(しんそう)は県城で占いを生業としていた。 義熙(ぎき)年間(405〜418)に、左将軍の檀侯(だんこう)が丹陽の姑孰(こじゅく)に駐屯した。檀侯は狩りを好み、特に虎狩りを盛んに行なった。 ある日、沈宗のもとを一人の…

浦城(ほじょう、福建省)と永豊(えいほう、江西省)の県境の街道沿いに一軒の旅籠があった。厳州(浙江省)の商人が絹糸の荷をたずさえて、この旅籠に数日の間泊まった。旅籠の主人の妻は色好みで、商人を誘って関係を結んだ。 妻は夫に言った。 「あの客…

王季徳の棺

王季徳(おうきとく)は平江(へいこう)府(江蘇省)に赴任して一か月で死去した。部下達が金を出し合って棺を用意した。いざ納棺しようとすると、突然、死体がふくれ上がって納めることができなくなった。 この怪異な現象に皆が首をひねっていると、王季徳…

貧士の予言

王衍(おうえん)は二十歳の時、受験のため明州(浙江省)から上京した。 合格発表の前日、金のない王衍は遊びに行くこともできず、一人、旅籠(はたご)に残っていた。そこへ、どこからか貧しそうな身なりの士人がやって来てていねいにお辞儀をした。てっき…

壮絶孝子

庚子の年(康煕五十九年、1720)の中元の日、私(作者、金埴のこと)は河間(河北省)の北の二十里鋪というところに泊まった。旅の埃を落そうとたらいで水浴びをしていると、突然、触れ回る大声が聞こえてきた。 山東の孝子が母を背負って災害から避けてここ…

狐総管

都の西単牌楼(せいたんはいろう)に大きな貸し家があった。狐が棲みついたために、借り手がなかった。家賃を得られないことに腹を立てた家主は、自ら貸し家に出向いて狐を罵った。 その晩、家主の幼い子供がいなくなった。家族総出で探し回ったところ、子供…

江西南昌(なんしょう)の農村で子供が鴨を河に放していたところ、一羽が田のあぜに逃げ込んだ。田の所有者である秀才が、この時、たまたまあぜ道を歩いていた。秀才は鴨を見つけると、捕まえて連れ帰った。それを見た子供は秀才の後を追いかけ、家の前で追…

心許身殉

原邑(げんゆう、山西省)の学生、郭長泰(かくちょうたい)は眉目秀麗で才気あふれる少年であった。 十八歳で学校に入ることになり、正装して親戚にあいさつ回りをした。従妹の家を訪ねてみると、そこは後家の母と娘の二人暮しであった。女所帯であったが、…

板の上の女

光緒六年(1880)五月、湖北の漢口鎮(かんこうちん)に奇妙な木の板が流れ着いた。それは何枚もの板を重ねて荒縄で縛ってあり、上には女が一人横たわっていた。 女は手足を広げた格好で横たわり、両手両足は板に打ちつけた鉄の輪で繋がれ、身動きできない様…

鶴の恩返し

[口會]参(かいさん)は母親に孝養を尽くしていた。ある時、[口會]参は矢で射られた鶴を見つけた。かわいそうに思った[口會]参は連れ帰って傷の手当てをし、傷が癒えると、放してやった。 しばらく経ったある夜、鶴はつがいで戻ってきた。それぞれくち…

南康(なんこう)ウ都県(江西省)の西の川沿いに洞窟があった。夢口穴(むこうけつ)と呼ばれていた。 昔、ある船頭が全身黄色づくめの衣をまとった男と出会った。男は黄色い瓜を入れた籠を二つ担いでいた。 「夢口穴まで乗せてくれんかね」 男はそう言って…

長寿村

嶺南(れいなん、現在の広東・広西地方)は辺鄙(へんぴ)な土地柄で風俗も田舎じみている。中でも博白(はくはく、現在の広西壮族自治区東部)の田舎ぶりはすさまじいものであるが、その分、風俗には純朴さと古風なところが多く残っている。また、非常に長…

西園の女

杭郡(浙江省)の周という人が友人の陳某とともに江蘇地方を旅行し、ある名士の家に泊まった。 季節は初秋で残暑がきびしい上に、部屋が手狭であった。そこで、二人は屋敷の西園の精舎(しょうじゃ)に移ることにした。山に面し、池に望んで非常に幽静であっ…

博徒

孝廉(こうれん、郷試の合格者)のなにがしは長い受験生活を送るうちに困窮し、日々の暮らしにも困るようになった。友人や親戚に借金を申し入れても、誰も貸してくれない。そんな中、近所に住む博徒(ばくと)だけが、 「先生、おかげさまで今日は大勝ちしま…

始皇帝と海神

斉の鬲城(れきじょう、山東省)の東に蒲台(ほだい)がある。ここは秦の始皇帝が休んだところだといわれる。その時、始皇帝が台の下に、蒲で馬をつないだという。今でも蒲が生い茂り、「秦始皇の蒲」と呼ばれている。 始皇帝は石橋を架けて海を渡り、太陽の…

三頭の馬と一つの槽

曹操は司馬懿(しばい)の息子達が曹氏に忠義でないのではないかと疑っていた。また、かつて三頭の馬が一つの槽(おけ、槽《そう》は曹と同じ音)から飼い葉を食べる夢を見たこともあって、ますます司馬氏を憎んだ。 そこで、息子の曹丕(そうひ、後の魏の文…

石氏の娘が尤郎(ゆうろう)に嫁いだ。夫婦の情愛はいたって睦まじかった。 尤郎が遠方へ行商に出ることになった。石氏は懸命に行かせまいとしたのだが、尤郎は聞き入れなかった。いつまで経っても尤郎は戻ってこず、夫への思いを募らせた石氏は病に臥す身と…

美貌の女師匠

明の成化(せいか)十三年(1477)七月十三日の夕暮れのことである。真定府(河北省)晋州(しんしゅう)聶村(じょうそん)の秀才高宣(こうせん)の家の門を一人の女が叩いた。女はすらりと背が高く、美貌であった。女は、 「趙州(河北省)の張林の妾です…

名犬的尾

晋の太興(たいこう)二年(319)のことである。 呉地方の華隆(かりゅう)という人は猟を好んだ。一匹の猟犬を飼っており、的尾(てきび)と名付けて常に猟に連れて行った。 その日、華隆は舟で揚子江の岸辺に葦(あし)を刈りに行った。華隆は舟に従者を残…

銀器職人の童

楽平(がくへい、江西省)桐林(とうりん)市の銀器職人の童は、徳興(とくこう)の張舎人(ちょうしゃじん)の家で銀器を作っていた。 毎晩、童が仕事をしていると、決まって二十歳あまりの美しい女がが酒肴を携えてやって来た。女は童と一緒に酒を飲み、飲…

皇帝と道士

唐の玄宗(げんそう)皇帝は珍しもの好きであった。最近では特に道術に大いに興味を抱いていた。その不思議さを目の当たりにするにつれ、自分でも習得して皆を驚かせてみたいと思うようになった。そこで道士の羅公遠(らこうえん)に頼み込んで、隠形(いん…

宰白鴨

福建のショウ州、泉州では凶悪な事件がきわめて多い。金持ちが人を殺した時には、貧乏人に多額の金を渡して自分の身代わりにする。貧乏人は金のために殺人犯として出頭し、死刑に処せられるのである。どんなに賢明な役人でも、やめさせることはできない。こ…

金君卿

荊南(けいなん、湖北省)の某太守に娘がいた。十八歳の時に縁談がまとまり、吉日を選んで輿入れする運びとなった。 ある晩、娘は夢でこう告げられた。 「これは汝の夫にあらず。汝の夫は金君卿(きんくんけい)なり」 娘は目を覚ましてからもこのことは誰に…