小夫人と千人の戦士

昔、恒水(こうすい、ガンジス川のこと)の上流に一国があった。その王の小夫人が肉塊(にくかい)を産み落とした。大夫人は妬んで、 「不祥(ふしょう)の兆しを産み落とした」 と言って、肉塊を木箱に入れて恒水に捨ててしまった。 下流の国の王が恒水のほ…

紫雲観の女道士

唐の開元二十四年(736)の二月、玄宗は洛陽に行幸した。当時の河南尹(いん、長官)は李適之(りせきし)であった。 その日、洛陽一帯では大風が吹き、玉貞観に一人の女道士が飛ばされてきた。その噂を聞きつけて参拝客が集まり、玉貞観(ぎょくていかん)…

羊になる

都のある士人の妻はたいそう嫉妬深かった。ささいなことで悋気(りんき)を起こしては夫を罵り、ひどい時にはむちで打った。そして、いつも夫の足に長い縄を結びつけ、用のある時にはこの縄を引っ張って呼んでいた。 これにたまりかねた夫はひそかに出入りの…

蟻の王

呉(ご)の富陽(ふよう)県(浙江省)の董昭之(とうしょうし)が船で銭塘江(せんとうこう)を渡った。江の中ほどまで来たところで、水に浮いた葦の上に一匹の蟻がいるのを見かけた。蟻は葦の端まで行っては戻ることを繰り返していた。 「死ぬのがこわいん…

王氏の娘

四川内江(ないこう)県に王氏という名家があった。娘は早くに富豪のトウなにがしと婚約していた。 王氏の娘は豊満な体つきをしており、特に腹のあたりがふっくらしていた。そのため、口さがない人々は、 「はらんでるんじゃないか」 と、うわさし合った。や…

陳敏

陳敏は江夏(こうか、湖北省)太守となった時、宮亭廟(きゅうていびょう)に銀の杖を奉納することを約束した。ところが、実際に奉納したのは、鉄の杖に銀を塗ったものであった。 このことに気づいた廟の巫人(ふじん)は、 「陳敏の罪は許せぬ」 と言って杖…

独角

独角は巴郡(はぐん、四川省)の人である。数百歳になると思われたが、その名前はすっかり忘れ去られていた。 頭のてっぺんに角が一本生えていることから、独角(どくかく)と呼ばれていた。 独角は何年もの間、姿を消していたかと思うとふらりと舞い戻って…

任氏(後編)

鄭が家に帰って間もなく韋が訪ねてきた。 「昨日は一体どうしたんだ。飲み屋でずっと待ちぼうけさせられたぞ」 となじった。鄭はひたすら謝って、任氏のことには一言も触れなかった。ただ、任氏の艶やかな姿が思い起こされ、何とかもう一度会えないものかと…

任氏(前編)

唐の玄宗(げんそう)の御代に韋崟(いぎん)という人がいた。母が王族の出身で若い頃から豪放磊落(らいらく)、酒好き、女好きでいわゆる侠気(おとこぎ)に富む気性であった。その従姉妹の婿に鄭六という者がいたが、この人も少年の時から武芸を習い、や…

非凡な死

岳飛(がくひ)が非業(ひごう)の死を遂げた後、その部下は離散した。優れた人材が揃っていたのだが、金との和議がなった以上、もう必要なくなってしまったのである。 何宗元(かそうげん)もそうした武将の一人であった。彼は数多の戦功を立て修武郎(しゅ…

王大

穎陽(えいよう、河南省)の蔡四(さいし)は文才豊かな人であった。唐の天宝年間(742〜756)はじめに、彼は家族とともに陳留(ちんりゅう、河南省)の浚儀(しゅんぎ)に移り住んだ。 蔡四が詩を吟じると、いつもどこからか鬼が現われ、榻(ねだい)に上が…

尻の肉

福建のある県で十四歳の少年が殺される事件が起きた。犯人はすぐに捕らえられた。 県令が死体を検分すると、首から下に数か所の傷があった。ここまでは普通の死体であったが、不思議なことに尻の穴を中心に肉が大きくえぐり取られていた。仔細に調べると、尻…

南海漂流

陵州刺史の周遇は生臭を口にしなかった。劉恂(りゅうじゅん)がその理由を問うたところ、自らの不思議な経験を語って聞かせてくれた。 周遇が若い頃、青土(山東省)から海に乗り出し、福建に行こうとした時のことである。運悪く時化(しけ)に遭い、五日も…

小人達

漢の武帝が未央(びおう)宮に群臣を集めて宴会を開き、ご馳走を箸に挟んで口に運ぼうとした時、かすかに人の声が耳に入った。 「爺いめが、お恐れながらお願い申し上げたき儀がござりまする」 帝が辺りを見回したが、姿は見えない。あちこち探させると、よ…

韜光

長安の青龍寺の僧侶、和衆(わしゅう)と韜光(とうこう)は親しくしていた。韜光は富平(ふへい、陝西省)の出身で、里帰りをすることになり、和衆に言った。 「私は何か月か家におりますので、近くまでいらした時にはお立ち寄り下さい」 「ええ、是非、そ…

閙房

婚礼の夜、親戚や友人が新婚夫婦の寝室に集まって騒ぐ。夫婦をひやかして深夜まで騒ぐのだが、ひどい時には明け方まで騒いで、新婚夫婦を二人きりにさせないこともある。これを「閙房(どうぼう)」という。江蘇、浙江地域で広く行われ、嶺南(れいなん、広…

白老

侍御史(じぎょし)の盧樞(ろすう)がしてくれた話である。 親戚に建州刺史となった人がいた。ある夜、あまりの暑さに寝つかれず、庭に下りて月でも眺めることにした。寝室を出たところで、西の階の下から人の笑い声が聞こえてきた。 そっと忍び足で近づい…

早産

ある妊婦、まだ七か月だというのに突然産気づいて、そのまま子供を産み落とした。夫は子供が未熟児なので、育たないのではないかと非常に心配し、人に会うごとに未熟児が育つかどうか問いかけた。 ある日、友人と話しているうちに話題が子供のことに及んだ。…

朱子之の家の幽鬼

東陽郡(浙江省)の朱子之(しゅしし)の家にはいつも幽鬼が現われた。別に悪さをすることもなかったので、家族は普通の人間と同じように接していた。 朱子之の息子が胸の病を患い、たいそう苦しんだ。幽鬼が言った。 「虎の睾丸を焼いて飲ませれば、すぐに…

三娘子

広東潮州府(ちょうしゅうふ)掲陽県(けいようけん)の趙信と周義は親しい友人であった。二人で南京へ布の買いつけに行くことになり、船頭張潮(ちょうちょう)の船をやとい、翌日の夜明けに船で落ち合う約束をした。 出発の当日、趙信は早々と一人でやって…

剣仙

宋の煕寧(きねい)年間(1068〜1077)のことである。 太廟(たいびょう、歴代天子の霊を祭る廟)の神官に姜適(きょうせき)という人がいた。山東の人で、枢密(すうみつ)の姜遵(きょうじゅん)の孫であった。 この姜適が都の開封(かいほう、河南省)で…

頭痛

曲阿(きょくあ、江蘇省)の彭星野(ほうせいや)に秦瞻(しんせん)という人がいた。 ある時、昼寝をしているとどこからかなまぐさい臭いがしてきた。はっと目覚めてみれば 、目の前に蛇がいた。蛇は秦瞻の顔近くにはい寄ると、鼻の孔(あな)にもぐり込ん…

広東(カントン)のある寺に、一人の年老いた僧侶がいた。貧苦の中で修行をし、厳格に戒律を守っていた。 ある夏の日のこと、旅の道士が寺に一夜の宿を泊めた。僧侶が、 「我が寺はむさ苦しく、仙師(せんし)をお泊めできるところではありませぬ。もしそれ…

賄賂

五代の後唐のことである。 鎮州(河北省)の劉方遇(りゅうほうぐう)の家は裕福で、数十万の財産を蓄えていた。妻の田氏は早く死に、その妹は尼僧となっていたが、ひんぱんに方遇の家の出入りしていた。方遇はこの義妹を還俗させて、後添いに迎えた。 妻の…

狐憑き

宣府(山西省)赤城衛の武官に郭應忠(かくおうちゅう)という人がいた。陜西から来た同じ武官の張某と懇意にしており、娘と張家の息子の間には婚約が調っていた。張家は非常な物持ちで、婚礼を挙げたら陜西へ戻るつもりであった。これに應忠は難色を示した…

白石

臨川(りんせん、江西省)の岑(しん)氏が遊山に出かけた時、谷川で二つの白い石を見つけた。大きさは蓮の実くらいで、互いに追いかけ合うように水の中を転がり回っていた。不思議に思った岑氏は石を拾い上げて持ち帰ると、小箱に納めた。 その夜、夢に二人…

王瓊

唐の貞元年間(785〜805)初めのことである。丹陽県(江蘇省)知事の王瓊(おうけい)は任期が満ちた後、都に呼び戻された。その後、三年の間、任官できず、悲嘆に暮れていた。 王瓊は茅山(ぼうざん、江蘇省)の道士葉虚中(しょうきょちゅう)のもとで物忌…

逃げる女

宋の紹興(しょうこう)年間(1131〜1162)はじめのことである。陳監倉(ちんかんそう)という人が北から家族を連れて逃れてきて、邵武軍(しょうぶぐん、福建省)に居を定めた。陳監倉には陳淑(ちんしゅく)という年頃の娘がおり、艶麗な上にたいそう聡明…

紅蜘蛛

建寧(けんねい)府(福建省)に娘を二人持つ人がいた。その家の向かいには大きな山があった。 娘達はそれぞれ嫁いでいたが、正月なので里帰りしてきた。久しぶりに会った姉妹二人は実家の花園で積もる話でもしようということになった。 「キャッ!」 花園に…

超絶技巧

唐の穆宗(ぼくそう、在位821〜824)の時のことである。 飛龍隊の衛士に韓志和(かんしわ)という人がいた。もとは倭国の人である。倭国で何をしていたのか誰も知らなかったが、木彫りの技術に非常に優れていた。彼が彫った鳥は餌をついばんだりさえずったり…