2009-01-01から1年間の記事一覧

木鳶

魯般(ろはん)は敦煌(とんこう、甘粛省)の人である。いつの時代の人なのかはわからない。なぜなら、魯般の姿はどの時代でも見られたからである。 彼は創造性に富み、様々な仕掛けを作っては人を驚かせた。その魯般が涼州(りょうしゅう、甘粛省)で仏塔建…

美人画の怪

王なにがしの居室はいつも掃き清められ、趣味のよい調度が並んでいた。枕元には一幅の美人画がかけられていたが、これが見事な出来ばえで、今にも画中から美女が抜け出してきそうであった。 王が外出した晩、妻が一人で灯りに向かっていると、帳の紐の影が画…

恋しくて

鉅鹿(河北省)に庖阿(ほうあ)という人がいた。惚れ惚れするような美男子で、多くの娘から思いを寄せられていた。ただ、庖阿には妻がいた。それも飛びっきり嫉妬深い妻が。 同じく鉅鹿に石という人が住んでいた。この人に娘がいたのだが、何かの折に庖阿の…

ある結婚の話

天津(てんしん)の卞(べん)なにがしは南方へ従軍して功績を立て、千総(せんそう、士官クラス)の位を得て、哨官(百人を率いる隊長)となった。忙しい軍務の中、休暇を取って帰郷し、華氏を娶った。 婚礼の夜、卞は華氏とともに寝室に入ったのだが、非常…

二人の母

潁川(えいせん、河南省)に富豪がいた。兄弟で同居しており、それぞれの妻は懐妊していた。 数か月後、兄嫁は流産したのだが、このことを隠していた。弟嫁が陣痛を訴えると、自分も陣痛を訴え、ともに産屋(うぶや)に入った。弟嫁が男の子を産むと、兄嫁は…

蔡十九郎

紹興二十一年(1151)のことである。秀州(浙江省)当湖の魯生が試験に臨んだ。 初日が終わってから、間違いに気づいた。すでに答案を提出した後で、訂正するすべがない。翌日の試験では何も手につかず、机のそばをうろうろしながら、自分の失態を嘆いてばか…

廬陵(ろりょう)郡(江西省)の巴邱(はきゅう)に陳済(ちんせい)という人がいた。州の官吏となり、妻の秦氏を残して単身赴任することになった。 陳済が任地へ赴いてからしばらくして、秦氏の前に一人の男が現われた。堂々たる美丈夫で立派な身なりをして…

化火

蜀帝に公主が生まれた。蜀帝は乳母の陳氏に公主を養育させることにした。陳氏は幼い息子を連れて宮中に入り、公主とともに暮らした。 公主が年頃になり、陳氏母子は宮中を出た。陳氏の息子は公主に恋い焦がれて、重い病にかかった。 ある日、陳氏は宮中で公…

髑髏神

南宋の嘉煕(かき)年間(1237〜1240)のことである。 農村で十歳になる子供が突然、姿を消した。家族は祈祷師を呼んだり、近隣の村に立て札を立ててその行方を探し求めたのだが、杳として手がかりがつかめなかった。 子供が姿を消してしばらく経ったある日…

思索を練る場所

宋の銭思公(せんしこう)は富貴な生まれではあったが、嗜欲(しよく)の少ない人であった。かつて同僚にこんなことを言っていた。 「普段、好むことといえば読書だね。坐れば経史を読み、寝る時は小説を読む。厠(かわや)では詞を読むことにしてるんだ。今…

袁双の妻

東晋の太元五年(380)のことである[言焦](しょう)県(安徽省)の袁双(えんそう)は貧しく、雇い人として働いていた。 ある日のこと、夕暮れ時に帰宅する途中、一人の娘と出会った。年の頃は十五、六でたいそう美しい。娘は言った。 「あなたのお嫁さん…

紫玉

呉王夫差に紫玉という娘がいた。芳紀十八歳、才色兼備で、王は目に入れても痛くないほどの可愛がりようであった。 紫玉はふとしたことで韓重という美少年に思いを寄せた。密かに文をやり取りし、将来を誓い合う仲になった。重は当時十九歳で、斉魯地方(共に…

蕭県の陶工

鄒(すう)氏は代々、エン州(山東省)に住んでいたが、師孟(しもう)の代になって徐州(安徽省)の蕭(しょう)県北部の白土鎮に移り、陶工の親方となった。 白土鎮には三十あまりの窯(かま)があり、数百人の陶工が働いていた。その中に阮十六(げんじゅ…

玉の指輪

山東の徂徠(そらい)山に光化寺という寺があった。この寺の一室で年若い一人の書生が学問に励んでいた。 夏のある涼しい日、廊下で休みがてら壁面の書を読んでいた時のことである。どこからともなく白衣に身を包んだ美女が現れた。年は十五、六、楚々とした…

王鑑

エン州(山東省)の王鑑(おうかん)は豪胆で、こわいもの知らずであった。特に鬼神のたぐいの存在を認めず、侮蔑(ぶべつ)するような発言をはばからなかった。 開元年間(713〜741)に、王鑑は酔いにまかせて、馬で町から三十里(当時の一里は約 560メート…

詩人の魂

ある男が船で巴峡(はきょう、三峡下りの名所)を下っていた。夕方、船は小さな入江に停泊した。 夜もふけて、うとうとしはじめた時のことである。風に乗って詩を吟唱する声が聞こえてきた。 時に高く、時に低く、その声は孤独と悲哀に満ち、聞く者の魂を揺…

自白

遠くへ旅に出て長く家を空けていた男がいた。久しぶりに家に帰ると、妻が殺されていた。首は持ち去られていたが、衣服から妻とわかった。妻の実家に知らせに走ったところ、妻の両親は男が殺したものと思い、取り押さえ て役所につき出した。 「婿が娘を殺し…

霍丘(かくきゅう、山西省)の県令であった周潔が辞職して、淮水(わいすい)流域を旅していた時のことである。 当時、この地方は大飢饉(ききん)に見舞われ、街道筋の宿場はすっかりさびれ果て、どこにも泊まれるような宿はなかった。困り果てた周潔が丘に…

呉生の妾

江南の呉生(ごせい)は会稽(かいけい、浙江省)を旅した折に、劉氏を娶って妾にした。 数年後、呉生は雁門郡(山西省)のある県の知事に任じられ、劉氏を連れて赴任した。この頃から、呉生はあることで悩むようになっ た。劉氏の気性が変わってしまったの…

阿里瑪

清朝を開いた満洲族がまだ山海関の向こうにいた時の話である。 阿里瑪(アリマ)という猛将がいた。凄まじい怪力の持ち主で、盛京(せいけい、遼寧省瀋陽)の實勝寺で境内に置かれた石の獅子を軽々と持ち上げたという逸話の持ち主でもあった。この石の獅子は…

毛鬼

唐の建中二年(781)、江淮(こうわい)地方に奇妙なうわさが流れた。 湖南から[厂+萬]鬼(れいき)が来るというのである。毛鬼(もうき)だと言う者もあれば、毛人(もうじん)だと言う者、[木長](とう)だと言う者もいた。さまざまな呼び方があるの…

秘密

この不思議な話は順治(1644〜1661)初めのことであると聞いている。 某という人がいた。名前は忘れた。この某は妻と前後して亡くなり、その後、三、四年して、今度は妾が亡くなった。 それから間もなくして、某の家の使用人が夜出かけた。その帰り道、雨に…

元の至元(しげん)二十年(1283)に姚忠粛公(ようちゅうしゅくこう)が遼東の按察使(あんさつし)となった時のことである。 武平県の劉義という者が、兄嫁が情夫と共謀して兄の劉成を殺した、と訴え出た。県令の丁欽(ていきん)が調べにあたったのだが、…

迦湿彌羅(カシミ−ル)王が一羽の鸞を買った。鳴き声を聞こうと思ったが、まったく鳴かない。そこで、金の籠に金の鎖でつなぎ、贅沢な餌を与え、その心をほぐして鳴かせようと試みた。しかし、一向に鳴く気配のないまま三年が過ぎた。 ある日、夫人が王に言…

父の訴状

広陵(こうりょう、江蘇省)に欧陽(おうよう)なにがしという下役人がいた。家族とともに決定寺の向かいに住んでいた。その妻は幼い頃に戦乱に遭い、両親と生き別れになっていた。 ある日、一人の老人が欧陽家を訪ねてきた。老人は自ら、 「この家の主の妻…

座像

廬山(ろざん、江西省)山中に落星潭(らくせいたん)という淵がある。この淵は水が深く淀んで魚がよく捕れ、近隣の者にとって恰好の釣り場だった。 五代十国の呉の太和年間(929〜934)のことである。一人の釣り人がここで釣り糸を垂らしていた。突然、ぐい…

薛度の妻

紹興年間(1131〜1162)はじめのことである。キ路提刑司検法官の薛度(せつど)は恭州(四川省)で勤務していた。妻が病にかかり、医者の劉太初(りゅうたいしょ)に治療を頼んだ。しかし、治療の甲斐なく、妻は死んだ。 しばらくして、妻は目を開けて医者の…

子供の頃、犬を飼っていた。進宝と名付けていつも側においていた。塾に通うようになってからも進宝を連れて通った。 ある日、進宝を机の上に坐らせたまま勉強していると、進宝はじっと本をのぞき込み、私の読む声に耳を傾けているように見えた。時折、うなず…

ふぐ

ふぐは体に虎のような斑(ぶち)がある。世間では生煮えを食べると必ず死ぬ、と言われている。 饒州(じょうしゅう、江西省)の呉生の家は裕福で、妻の実家も裕福であった。夫婦仲は睦まじく、喧嘩をしたことは一度もなかった。 ある日、呉生は酔っ払って帰…

震える手

蒋(しょう)太守が直隷(ちょくれい)の安州(河北省)で一人の老人と出会った。老人は常に両手を震わせており、その様は鈴を振る仕種に似ていた。初めは中風なのかと思ったが、その物言いははっきりしている。不思議に思った蒋太守は老人に手の震える理由…